ブログを運営するに当たっての試行錯誤や考えを述べるブログです。
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 個人的に趣味とコレクション性は不可分と思うので、その文脈からブログとツイッターを比べて考えてみる。そのため、多少無機的な言いかたになる。


 ブログの場合、コレクションしていると言えるのはその記事を書いた時々の「自分の考え」になろうか。考えの足跡が残り、積み重なっていく、そして多少なりとも価値をもつ。私はそこに喜びを感じるのである。

 ツイッターの場合は、自分の考えも一要素ではあるが「つながり」そのものがコレクション性をもっているように見受けられる。スパムの横行によって、ブログがトラックバック機能でなしとげられなかったものを、特化し洗練された機能でなしとげている感じかな。


 もちろん、どちらもコレクション性以外にも多くの愉しみがあるはず、なのだが、もしそれなりに重要な役割を果たしているとすれば長期戦ではブログの方が有利かもしれない。ツイッターは利用者数の増加に後押しされるわけで、飽和に達したときにどうなるか……一個人の知覚できる範囲では無限に等しいつながりのバリエーションが生まれるので大丈夫かもしれないけれども。
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 マンガサイト・ブログに希望することを読んでたら、石川九楊ショウペンハウエルのカクテルを飲んでるような気分になった。

 たとえば源氏物語の位置に「昔のサイト」を置いているような感じだ。それはもはや「良いものの規範」となってしまってわけで、最高点に設定しておいてから他の点と比較している。そう感じる私の視点からはアンフェア・ナンセンスといわざるをえない。ただ、昔のサイトの方が良かった――は源氏物語は至高!ほど市民権を得ていない気はするが。
 もうひとつショウペンハウエル的な「読者は良いものだけ読んでろ」的主張にはダメ時間浪費家として肯んじえきれない。正直に申し上げて良作良文良哲学づけでは疲れるのだ、自分の非才に絶望する気力すら途絶の憂き目に陥るのだ、人生で有意義に消化しきれる気になれないのだ、なにより「時間を無駄遣いすることはお金の無駄遣いに匹敵しつつ多くの人に出来る娯楽」なのだ。その行為自体に悦楽がある――ソリティアに費やされた全人類のマンアワーを結集すれば火星植民くらいできるよね?我が身を振り返れば糾弾する気は起きんが。
 まぁ、それでも後者の崇高な理念に対しては共感するところなきにしもあらず。なんといっても自己を選ばれた創造の担い手に位置づけて妄想することはこれまた時間の浪費に匹敵する悦楽だからねっ。


 私が憂慮するのは批判を受けていた類のサイトが増えたことそのものではなく、いわいる「ちゃんとしたサイト」がその中に混ざって望む人に見つけられない事と、本来なら体系的な「仕事」ができしたいと思っていた技量の持ち主が小手先の散漫な記事で情熱を満足してしまい実力を発揮しきれないままに時間を費やしていく事だ(逆にもともと「力はあっても書けない人間」をブログが発信者にしたことも評価すべき)。
 そして、基本的に後者の問題は前者が解決されていけば、体系的な仕事へのモチベーションが自然と上がるので解決するはず

 というわけで、今こそディレクトリ型検索エンジンを見直すべきとき!なのかな?
 個人的にもいろいろとリンク集を整備したり試みているが、無力。ソーシャルブックマークも掲示板もどこかで躓いているのを感じる。私の杞憂に対する抜本的な対策はみつけられそうもない……いくらなんでも手に余るよ。
 中の人として「漫画レビューサイト」とひとくくりにすることに物足りなさを感じることが増えているので、ひとつの例として分類方法をあげてみる。
 とりあえず私がイメージしてみたのは縦軸の両端に「感想」と「あらすじ」を、横軸の両端に「ネタ」と「考察」をおいた平面だ。

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図1.漫画関連サイトの4象限

 それぞれの両端は絶対調和しない要素とはいいきれないが、内容がまとまった記事を書くときにはある程度同居が避けられる傾向があると思う(つまりサイト単位ではその限りではない)。
 こうして生まれる平面は二つの軸で分断された4つの象限に大別することができる。それぞれ「ネタ・感想」面を1、「考察・感想」面を2、「考察・あらすじ」面を3、「ネタ・あらすじ」面を4としておく。
 で、この4つごとに印象を語ってみると、

1.ネタ・感想に該当するサイトは、管理人の言葉がそのまま楽しめる内容になっているそのキャラクターに依存したサイトが多い。キャラクター自体は天然だったりサイト用に作られたものだったりするのだが、ある種の一貫性と楽しさがコンテンツに与えられるために読者の中毒性が高いといえる。反面、合わないところにはとことん合わないわけで嫌われることも少なくないのではないか。
 もっともパンツ脱いでいるので負担が大きいが、その分やってる人間も楽しめる場合はとことん楽しめる。

2.考察・感想にあたるサイトは多数派の一極を形作っていて(基本的には感想よりが非常に多いものの)元気な分野だ。いわいる「語る」サイトであるといえる。感想と考察が両立してしまうのは感覚的なものが通用して、ある程度は作者の匙加減のメディア、漫画らしい現象だろう。特に読みこんでいる運営者の感想にははっとさせられるものがある。
 記事の生産性が高く、その量でも圧倒的なのが特徴。いったんペースを掴むと衰えに強い。

3.あらすじ・考察系のサイトは少ないというか目立つのが難しい。基本的に深く狭くやっていくタイプだからだ。ともかくとことん行くので勢いまかせで矛盾の多い作品には向かない問題もある――それでも細かい要素までひっぱりだして理屈付けするのもこの手のサイトのパワーではあるのだが。
 そして、一撃炸裂したときの破壊力については目覚ましいものがある。読者個人の視点からも、サイト運営からの視点からも。だが、よほどメジャーな作品についてやっているのでなければ基本的には運営者の行者的姿勢に支えられていると思われる。

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図2.私が考える狭義の漫画レビューサイトは2~3にかけて分布する。

4.ネタ・あらすじを扱うサイトはニュースサイト界隈ではお馴染みの存在といえる。弾数がでて優れた考察並みにフック力が強い、これらが勢いに乗っているときのヒット数と他のタイプのヒット数を同列にカウントするのは釈然としないものがあるくらいだ。通常はキャプチャー画像を使うサイトが多く、あまり文章で凝ってくるタイプは1に近づいてくる印象――私がたまにやる改変ネタはモロにここかもしれないが。
 肝心のネタが運営者の着想よりも作品そのものが保有するネタ性に頼っている場合(狭義のネタバレサイトになるのか)はいささか創造性に欠けるきらいがある。

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図3.いちばん多くの読者を集めやすい(だが競争率も高い激戦区の)界隈はこの辺?


 以上、並べてきてみたがあくまでも傾向であって、いつもはネタに走っているサイトが突如読み応えのある考察をアップすることもあるだろう(その逆も)。連載作品の一話ごとに感想を書いているようなサイトは記事の内部ですら上下をゆらゆら行き来している現象が認められる。その産物はあらすじのパンと考察やネタで味付けられた感想の具によるサンドイッチになる。
 事によっては軸線上にしっかり乗っているサイトもあるかもしれない。浮動もなくあらすじ線上にどっかり載っているサイトは著作権的に真っ黒なのでいただけないが……。

 こういう分類は実際にどこに当てはまるのか、だけではなく、運営者がどこにもって行きたいかも重要だ(1の天然さんだけはどうにもならないけどさ)。さて、あなたはどんなサイトが読みたいのだろうか、どんなサイトにしたいのだろうか。

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ハヤテのごとく!考察の考察その2 ハヤテのごとく!の考察にはどんな種類があるか?

マイペイサジコル 誰の為のウェブサイト?誰の為の同人誌?を読んで

 趣味が義務になったとき苦痛しか残らないというのも、また言いすぎかもしれないが、運営者に「私は読者のために書いてます」と宣言されると、無料ゆえにほとんど返すもののない(返しようのない)読者にとっても気が重い場合があるのではないか。
 私の記事など常軌を逸したほどボリュームがあるので、読者はなおさら言われたくなさそうだ……そうそう、実はわたし、読者のために書いてるんだっ!(キラッ☆)

 だいたい「読者のために~」に「読者ために描いている自分に酔うために~」をまったく含めないのからして難しい。少なくとも私なら自己陶酔してみせる自信があるね(というか既にしてるね!)……偏差値からずれている人間がいってもあまり説得力がないか。
 たしかに本当に無私の人もいて――ペイサさんもその一人だろう――尊敬しているけれど、それが絶対多数派でなければならないと決定されれば、「サイトを運営できる権利」とやらの保有者は激減して意見の多様性が急速に悪化、まわりまわって微塵も読者のためになっていないネット環境が構築されるだろう。かるく凄絶な未来絵図だと思わない?
 また、ただひたすら読者のために書くには読者の実像を正確に把握しなければ不可能なはずで――これができなければ本人が何を言おうと独りよがりになってしまう――それを匿名性が跋扈するWeb空間で正確にやってのけるのはリサーチだけでも相当の労苦になるだろう(更新しているうちに運営者の記事をためにできる読者の方から集まってくるという視点もありえるが、それは結果論として「読者のために」が成立しているだけだ)。
 けっきょく相手を特定の知っている人物に定めるか、自分のためにする方が容易なのは間違いないかと…。前者は手紙やメールを書けば済むわけで、自分のためにサイトをやっている人が多数派になるのは自然な流れな気がする。

 どうも言及した記事はあくまでも個人の中に留まる強度の常識を現実とすり合わせずに主張されてしまって、摩擦を生じているように思われる。
 私のような狡猾な人物なら「これは常識だ!」などと衝突必至な主張をせずに「こうだから~~」と必ずしも常識でもないことをさも常識のように前提として語ることで常識として根付かせようとするテクニックを使うわけで(よくお店のトイレに貼ってある「いつも綺麗にご利用いただきありがとうございます」も応用のひとつだね)、善良さから来た主張だと確信はできるのだけど……。


 ちなみに、個人的には大手Web運営者の同人誌話を聞くと「せっかくの優れた才能をもっと多くの人の目に触れる媒体で発表されないのはもったいないなぁ」と思うことはある。
 というのも、同人誌の発行部数より管理されているサイトのアクセス数のほうが多い場合も珍しくないわけで、「出版」との間にメジャーとマイナーの捻じれ現象が生まれているのだ。さすがに公式な出版なら数千部はいくから異なるけれど。
 ただ、同人誌に発表する場合は、わざわざ購入してまで読みたい熱心な人が読んでくれるわけだし、複数人で協力するなら普段とは異なる層の読者からも記事をみてもらえるかもしれない。なにより紙の形で残す行為に精神的にステータスがあったりするのも分かる(神知るの桂木桂馬が先取りしている世代がくると変わるかもしれないが)。それに派手な露出を意識せずに済む場所だから楽しく書けることだってあるだろう。
 けっきょく本人の判断にお任せするのが一番ではなかろうか、というつまらん結論である。

 もし、私が同人誌に寄稿することがあったら「同人誌発売から一ヶ月したらブログで発表していい」などと許可を取り付けて二重投稿する作戦をとるだろうなぁ。だって、それが一番美味しいから。



 今月の頭から週刊少年ジャンプ感想サイト更新チェックのページが開かなくなった。このページはジャンプの感想をあげると、それに反応してリンクの位置をあげてくれるため非常に使い勝手がよく、多くの人が利用していたため、結構影響がでた。

 基本的に月曜日はアクセス数にとって谷になる曜日だったりする。週のはじめで学校や会社に行く人はネットサーフィンをする時間や体力が落ちているし、土日のサーフィンで満足しているからだ。
 それをならすように月曜日のアクセスを加速させるのがJ-Linkなわけで、トータルで勢いを保っていくタイプのブログをやっている身としては気を揉んだ。

 しかしながら、三週間も経ってみるとアクセスはそれなり(J-Link経由量の半分くらい)に復活していて、それに伴ったいくつかの変化がみられるようになった。
 まず、ブログタイトルや「360度」で検索してくる人が増えた。ブックマークはしていないし、他のリンク集も使っていないけど、サイト名を覚えていて読みに来てくれたのだろう。他にもいくつかのジャンプ関連サイトリンク集がじわじわと機能していてJ-Linkの代わりになっている感じだ。
 その中にはチェックは止まったもののリンクは使える、ジャンプ感想サイト更新チェックのミラーサイトも含まれていた。

 そしてブロガー側での変化として、微妙にトラックバックの活性が上がってきているようだ。つながりがJ-Linkを通じての間接的なものから、積極的な強いものになってきているのは興味深い。

 という感じで、360度の方針転換がジャンプ感想だけを売りにしているサイトではないこともあり、蓋を開けてみれば極端なダメージはなかった。
 本当に大変なのはこれから伸びようとするサイトの管理人さんだろうな。J-Linkは発射台としてなかなか良くて、付き合いの切っ掛けになる「お隣さん」意識も培えていたのだが、これからジャンプ感想をやるサイトは意識的に顔を売っていかなければ成長しにくくなってしまうかもしれない。

 まぁ、J-Linkに登録しているジャンプ感想サイト以外なら、それが普通なんだけどね。



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