ブログを運営するに当たっての試行錯誤や考えを述べるブログです。
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 「長い時間を掛けて書き上げた記事だから評価されたい」「プレッシャーを跳ね除けて運営を続けているから尊敬されたい」まったく感情的には「ごもっとも」と賛同したくなる意見だが、それを叶えることは本当に可能だろうか?
 だってこれ全部「書き手側の都合」で読者の関わる余地がないんだもの。

 読者にとって一番の大事は「その記事が読むに値する」ことであって、記事を書くのに書き手がどれだけ苦労したかは二次的な問題でしかない。極端なことをいえば、構想5年の記事も5分で考えた記事も内容が同じなら等しく評価される(だから著作権的にグレーなことをして、人の文章を転載しまくる奴らがでてくるのだ)。

 私が時間を使うのは書きたい記事を書くのに必要だからだ。時間を使ったことを評価してもらうためじゃない。それを期待するのに文章という方法はまったく不向きである。
 私が更新のプレッシャーを跳ね除けるのは、その行為に愉しさが宿っているからだ。いちいちそれを自慢するのはお愉しみに冷や水をかけるようなものだ――記事のネタにはした・してるけれど。


 まぁ、でもこれは、真実かもしれないが現実ではない。

 結構な数の読者は「苦労してますよ~、あなたのために(あるいは社会的、道義的理由で)頑張ってますよ~」という態度に共感・尊敬をくれるものらしいから。現実はそういうサイトの方が白鳥のようなサイトより強いのだ。勝つのだ。
 問題になるのは本当に苦労していることだけじゃなくて、苦労していることをアピールすることなのかもしれない……そんなの区別つかないさ。

 私がこういう考えに行きついてしまうのは、いろいろ半独立したブログをやっている人間だからだろう。
 ここの読者が、私が360度の方針転換でやってる漫画レビュー、全周無警戒のニュース、読書は呼吸の書評、上弦の月を食べる日々の写真撮影、のことを全て把握した上で記事を読んでくれるか?それを期待して記事を書くことは適当か?
 否。断じて否だ。
 そして、それぞれのブログの読者に対してもしかり。せいぜい「こういうことをやってますよ」と上のように文で説明するのが限界で、リンクを貼っても読んでもらえると期待するのは過大だろう。
 それを忘れることは私の恥だ。既に何度も恥辱にまみれている気がするが、だからといって自己中心的な記事が恥でなくなるわけじゃない。理解されるために書いた記事の前提で、理解を拒絶するなんて愚劣極まることだ。

 私はあなたに対して、常にひとつのブログ、あるいはひとつの記事で挑むしかないのだ。だから他のブログの更新時間や対プレッシャーなんて、あなた相手になんの頼りにできないし、それを突き詰めていけば同じブログの記事の間でも、ひとつの記事でも同じ結論に至る(やはり背景として以前の記事へのリンクを貼ることは出来るが)。
 こういう考えに至ってしまうのが私の面倒なところで、至っておきながら後半で「たくさんブログやっている僕ちゃんカッコいー!」やっちゃってるのが手遅れなところ。まさかこれほどとは…大した奴だ。

 読み返してみたらこの記事にぴったりな「努力」「頑張る」の単語がひとつもないね。
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