ブログを運営するに当たっての試行錯誤や考えを述べるブログです。
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 ekken♂:「ニュースサイト運営者に記事を見てもらう事」を主目的にはしたくないよねという記事からトラックバックをいただいたが、私も同感で目的にするのは嫌だ。でも、目的のひとつにするのは良いと思うし、主目的にするのもひとつの考えとして認めたい。その辺りの理由を書いてみた。

 人が意見をいうのには二通りの要因がある。他者からの反応がほしくて意見する場合(外的要因)と自分がそれをいわざるをえない思いがあるからこそ意見する場合(内的要因)だ。後者は自らのうちで完結しているからこそ一定の力を発揮できるが出力は本人次第、それに比して前者は反応があればあるほどエネルギーが増す――半面消沈も顕著だ。
 何をするにしても内的要因で充足しておき、外的要因には影響されないのが最良の方法である。しかし、最良の方法とは多くの場合において不可能な方法と同義なのである。少なくとも全ての人間が採用できる方法ではない。
 外的要因に頼るほかはない場合は行動をあきらめるべきか?そんなことはないだろう。認めてしまえばよい、自分は一人では生きられない人「間」だと。心が弱い、自己顕示欲がある、ちやほやされたい、人に認められたい――同じ事を別の言葉で言っているだけだが、自分の内なるもので行動するのが不十分なら、そこに外なるものを加えて行動する方が、行動しないよりマシではないだろうか?

 ネット上で得られる外的な要因のひとつがリンクである。それはリンクを張ってくれた人が自分の存在を認めてくれたという証であり、世界が無限まで空虚ではなく自分の周りに何かしらの存在があることを示す反響なのだ。

 それを求めては駄目だろうか?そもそもニュースサイト運営者と名もなき読者の間にどれほどの違いがあるのか。ニュースサイト運営者のために記事を書く技術の根底は、誰かに自分の記事を読んでもらうために記事を書く技術と変わるものではないのだが、ニュースサイトからのリンクを求めて記事を書くのは私欲で、誰かのために記事を書くことは無私なのかなぁ。
 どちらにしろ私は誰かのために見えても自分のために書いていることを常に意識している(情けは人のためならず)。


 ニュースサイト最適化なんて記事を書いたけど、そのままの意味で読む人がどれだけいるんだろう?こういうテクニックが駆使されている記事はとりあげられやすく主流のようにみえてしまい、そうでない内的要因からの記事はあっても埋もれてしまいやすそうなことを考えてほしかったのだが。
 でも、だからといって内的要因からの記事は素晴らしく、外的要因からの記事は駄作ぞろいと言い切れようか。世の中にはいろいろな価値観・考え方を持つ人がいる。内的要因だけの記事しか認められず外的要因の記事を受け容れないというならば、ニュースサイト最適化原理主義者と正反対方向の記事しか見ることができず、一方に偏った考えにしか触れえないことで同じことにならないか?

 ブロガーしかコメントをくれないとぼやいた事があるけど、そうではなくてコメントするよりもブログをはじめる方がハードルが低い世の中になっているような気がしてきた。サイトをはじめるには敷居が高く感じて掲示板に書き込むだけだった人々がどんどん自分の意見発信の場をもちだしているのだ。
 それはつまり投票率があがることのようなもの。まともな選挙の投票率が高いことが問題視されるだろうか。
 より多くの、内的要因から行動する人の意見も、外的要因から行動する人の意見も、汲み上げて議論できることには価値があると信じる。

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